戦国BASARA(バサラ)の武将キャラクター・家紋 図鑑(一覧リスト)
戦国時代の好きな女性(=歴女)の方々に、人気のゲーム「戦国BASARA(バサラ)」があるそうです。戦国武将好きのにわか歴男として、見逃せないと思いイケメン武将をまとめてみました。
また、本ページでは「戦国BASARA(バサラ)」の武将キャラクターを一覧で見られるだけでなく。史実に基づいた「武将の紹介や名言・格言」にリンクしています。そのほかにも、ゲーム「戦国無双」の武将キャラクターとも比較できたら面白いかと思いリンクをしています。様々な要素と絡み合い「戦国BASARA(バサラ)」の魅力を引き出せたら幸いです。
※本ページで使用されている全ての「戦国BASARA(バサラ)」画像の著作権は、カプコン、アークシステムワークス、アクセスゲームズに帰属します。
好奇心に、こちょこちょ。 | labo
- 戦国BASARA(バサラ)の武将キャラクター 一覧
- 伊達 政宗
- 片倉 小十郎
- 武田 信玄
- 真田 幸村
- 猿飛 佐助
- 上杉 謙信
- かすが
- 直江 兼続
- 毛利 元就
- 長宗我部 元親
- 織田 信長
- 濃姫
- 森 蘭丸
- 明智 光秀
- 柴田 勝家
- 浅井 長政
- お市
- 今川 義元
- 北条 氏政
- 風魔 小太郎
- 豐臣 秀吉
- 竹中 半兵衛
- 前田 慶次
- 前田 利家
- まつ
- 徳川 家康
- 本多 忠勝
- 石田 三成
- 大谷 吉継
- 島 左近
- 黒田 官兵衛
- 後藤 基次
- 松永 久秀
- 小早川 秀秋
- 天海
- いつき
- 尼子 晴久
- 山中 鹿介 幸盛
- ザビー
- 大友 宗麟
- 立花 宗茂
- 島津 義弘
- 足利 義輝
- 本願寺 顕如
- 雑賀 孫市
- 鶴姫
- 最上 義光
- 南部 晴政
- 佐竹 義重
- 宇都宮 広綱
- 姉小路 頼綱
- 宮本 武蔵
『戦国BASARA(せんごくバサラ)』について
戦国BASARA(バサラ)はカプコンから発売されているアクションゲーム、およびそのシリーズ名。テレビアニメ化やアニメ映画化、舞台化やテレビドラマ化や実写映画化、その他ドラマCD化や漫画化や小説化もされている。本シリーズのヒットにより、戦国武将が若い女性の間でブームになり、グッズを購入、ゆかりの地を訪れる女性観光客が増えているという報道もあるようです。
※「BASARA(婆娑羅)」の意。
伊達 政宗(だて まさむね)
肩書:「奥州筆頭(おうしゅうひっとう)」、『英雄外伝』の「双龍の決闘」では「一刀竜爪(いっとうりゅうそう)」 / 登場時の書き文字:「推参」
シリーズの主人公格の一人。年齢は19歳。荒武者揃いの伊達軍を束ね、奥州から天下を狙う若きカリスマ。その隻眼の風貌から「独眼竜」と渾名され、伊達軍の兵士達からは「筆頭」と呼ばれ慕われている。他にも「戦場の蒼い稲妻」「伊達男」などの異名を持ち、小十郎と二人組の時は「双竜」とも呼ばれる。
性格は傲岸不遜かつ大胆不敵で、自らの信じる生き様「粋」を貫く。天下を担うべきは自分であると公言し、度々無謀とまで言える行動をとるが、部下や民の命を預る者としての責任感は強く、天下取りの戦を楽しみながらも乱世の早期の終焉を望んでいる。異国の文化に精通している国際派という設定で、「Let's Party!!」「Coolにいこうぜ」など英語のセリフが飛び出す。
+α ゲーム【戦国無双】の伊達 政宗(だて まさむね)と比較
史実では、
伊達 政宗(だて まさむね)
織豊政権の大名 | 戦国大名 | 出羽国 | 仙台藩 | 伊達氏
(1567年9月5日 - 1636年6月27日 死去:享年68歳)
出羽国と陸奥国の戦国大名。陸奥仙台藩の初代藩主。
伊達氏第16代当主・伊達輝宗と最上義守の娘・義姫(最上義光の妹)の嫡男。幼少時に患った疱瘡(天然痘)により右目を失明し、隻眼となったことから後世独眼竜と呼ばれた。
【もっと歴史について】伊達 政宗(だて まさむね)の名言・格言
片倉 小十郎(かたくら こじゅうろう)
肩書:「仁吼義侠(じんこうぎきょう)」 / 登場時の書き文字:「参陣」
(1557年 - 1615年12月4日 死去:享年59歳)
伊達軍副将。28〜29歳前後。伊達政宗に絶対の忠義を誓う無二の腹心であり、冷静に厳しい諫言をする兄的存在でもある。政宗が背中を預ける唯一の人物。政宗の右腕という意味を込めて「竜の右目」の異名を取る。頬傷・オールバックに日本刀所持という、ぱっと見は気質ではないような外見。作中唯一の左利きキャラクターでもある。
男気溢れる信念を持った義理堅い性格で、伊達軍を支える縁の下の力持ちとして、人格・実力共に自軍だけでなく敵方からも評価が高い。主君のため常に己を抑えている一方で、命をすり減らす真剣勝負を好む生粋の武人でもあり、敵に対して怒りが頂点に達すると、平静な言動が一変する。
史実では、
片倉 小十郎、片倉 景綱(かたくら こじゅうろう、かたくら かげつな)
戦国武将 | 出羽国 | 陸奥国 | 仙台藩士 | 片倉氏
(1557年 - 1615年12月4日 死去:享年59歳)
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将である。伊達氏家臣で、伊達政宗の近習となり、のち軍師的役割を務めたとされる。仙台藩片倉氏の初代で、景綱の通称「小十郎」は代々の当主が踏襲して名乗るようになった。
【もっと歴史について】片倉 小十郎、片倉 景綱(かたくら こじゅうろう、かたくら かげつな)の名言・格言
武田 信玄(たけだ しんげん)
肩書:「戦神覇王(せんじんはおう)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
「甲斐の虎」の異名をとる武田家の当主にして甲斐の国主。戦国最強と称される武田騎馬隊を率いて上洛を目指す。
戦場においては自ら獅子奮迅の活躍を見せる猛将であり、武略に優れた智将でもある。二頭の馬の上や大斧の上に仁王立ちしたり、溶岩の中から勢い良く登場するなど、随所で人外の力量を披露している。大将としての貫禄・威厳は抜群で仁義に篤く心も広いため、敵からも武将としての器を絶賛されている。部下達からは敬意を込めて「お館様」と呼ばれ、信頼されている。
特に幸村からは主君というだけではなく、人生の師として深く敬愛されている。信玄自身も幸村に大きな期待をしており、厳しくも温かく見守っている。その師弟関係の熱さたるや凄まじく、「お館様ぁ!」「幸村ぁ!」と互いに名前を連呼しつつ殴り合うやりとりは定番イベントである。
+α ゲーム【戦国無双】の武田 信玄(たけだ しんげん)と比較
史実では、
武田 信玄 / 武田 晴信(たけだ しんげん / たけだ はるのぶ)
室町・安土桃山時代の僧 | 戦国大名 | 甲斐国 | 武田氏
(1521年12月1日 - 1573年5月13日 死去:享年53歳)
戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。諱は晴信、通称は太郎(たろう)。「信玄」とは(出家後の)法名。大正期に従三位を贈られる。
【もっと歴史について】武田 信玄 / 武田 晴信(たけだ しんげん / たけだ はるのぶ)の名言・格言
真田 幸村(さなだ ゆきむら)
肩書:「天覇絶槍(てんはぜっそう)」 / 登場時の書き文字:「見参」
主人公格の一人。17歳。武田信玄に仕える勇猛果敢な若武者。何事にも真っ直ぐ向かい合う心を持つ熱血漢。主君である武田信玄を人生の師として深く敬愛しており、信玄の天下取りのためにその力を奮う。信玄が「甲斐の虎」と呼ばれていることから、その弟子という意味で「虎の若子(わこ)」「若き虎」と呼ばれることもある。
性格は典型的な戦馬鹿であり、その単純さ故に感情の高ぶりを抑えられず周囲が見えなくなることもあり、「燃えよ!燃えたぎれ!」といった命令を発したり、鉄砲も「気合いで避ける!」などと無茶を口にしている。恋愛には全く免疫がないため、常に手を握っている前田夫婦や、着物がきわどい濃姫を見ただけで「破廉恥であるぞ!」と叫び、慶次の色恋話にも激しく動揺するなど、かなり初心な様子。甘味が好きな甘党。
+α ゲーム【戦国無双】の真田 幸村(さなだ ゆきむら)と比較
史実では、
真田 幸村(さなだ ゆきむら)/真田 信繁(さなだ のぶしげ)
戦国武将 | 真田十勇士 | 真田氏
(1567年または1570年 - 1615年6月3日または1641年)
安土桃山時代から江戸時代初期の武将。永禄10年(1567年)とされる生年は没年齢の49歳から逆算されたもので、月日は不明。武田信玄の家臣であった真田幸隆の孫であり、真田昌幸の次男。
【もっと歴史について】真田 幸村(さなだ ゆきむら)/真田 信繁(さなだ のぶしげ)の名言・格言
猿飛 佐助(さるとび さすけ)
肩書:「蒼天疾駆(そうてんしっく)」 / 登場時の書き文字:「参上」
幸村を支える真田十勇士の一人であり、真田忍隊の長。迷彩柄の忍装束に身を包んでいる。 瓢々とした軽い性格であるが、忍としての腕は一流で、戦闘中では闇に生きる者らしい冷淡さ・残忍さも垣間見られる。諜報活動のみならず、時に信玄から直々に暗殺を任されることもある。天下に対する興味はさほどなく、戦いを「仕事」として、自らを含めた人の生死に対してもビジネスライクに割り切っているが、淡白になり切れず、死に急ぐような相手(特に幸村やかすが)に対して声を荒らげる場面もある。幸村と信玄の暑苦しいやりとりを遠くから呆れ気味に眺め、頃合を見計らって止める役割を担う。
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上杉 謙信(うえすぎ けんしん)
肩書:「神速聖将(しんそくせいしょう)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
細身でスピードを生かした居合を武器とし、「軍神」と謳われる戦の天才。毘沙門天を篤く信仰している。常に落ち着いた物腰と華麗な振る舞いを貫いており、熱血漢の武田信玄とは対照的。
かすがを「うつくしきつるぎ」と呼んで宝塚歌劇団を彷彿とさせるやりとりを随所で繰り広げており、作中でかすがが倒された時には常の冷静さを失って動揺を見せる。その武名は全国に知れ渡っており、破天荒な政宗や小十郎すら敬意を払うほどの人物。また逸話同様、信玄に塩を贈ったことがあり、その義心にも一目置かれている。酒好きで、大きな杯で一口であおったり、酒豪の義弘に酒を勧められて喜ぶ面も見せている。
+α ゲーム【戦国無双】の上杉 謙信(うえすぎ けんしん)と比較
史実では、
上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 長尾 景虎(ながお かげとら)
室町・安土桃山時代の僧 | 戦国大名 | 還俗 | 越後国 | 長尾上杉氏
(1530年2月18日 - 1578年4月19日 急死:享年49歳)
戦国時代の越後国(現在の新潟県上越市)の武将・戦国大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。武神毘沙門天の熱心な信仰家で、本陣の旗印にも「毘」の文字を使った。自ら毘沙門天の転生であると信じていたとされる。
【もっと歴史について】上杉 謙信(うえすぎ けんしん) / 長尾 景虎(ながお かげとら)の名言・格言
かすが
肩書:「月下為君(げっかいくん)」 / 登場時の書き文字:「参上」
露出度の高いボディスーツ状の忍装束を纏った美女で、上杉謙信に仕えるくの一。本作のオリジナルキャラクター。元々は上杉謙信を暗殺するために城に潜入したが、謙信に一目惚れしてそのまま配下となり、以来謙信のため命を賭して戦っている。謙信と2人きりになると背景に薔薇が咲き誇り、その光景は宝塚を髣髴させる。謙信からは愛着を込めて「うつくしきつるぎ」と呼ばれ、特別扱いをされている。
謙信以外の人間に対しては厳しい態度と男勝りな言動が目立つが、心優しい面も持っており、忍としての腕は一流ながらも本人はあまり戦うことを好んでおらず、戦いのさなかに感傷的・感情的になることもしばしば。佐助や半兵衛からは「忍に向いていない」と評されており、他武将からその面を指摘されることも多い。
亀甲に花菱(きっこうにはなびし)、三つ盛り亀甲に花菱(みつもりきっこうにはなびし)、三つ盛亀甲に三つ葉(みつもりきっこうにみつば)、三つ山(みつやま)、雁金(かりがね) / 直江氏 家紋(家紋について諸説ある)
直江 兼続(なおえ かねつぐ)
肩書:「絶対無敵(ぜったいむてき)」 / 登場時の書き文字:「登場」
上杉謙信に仕える武将。上杉軍の一番隊を一人で任されている。
「無敵」を自称し、ことあるごとに「俺は無敵!」と叫ぶが、体力も攻撃パターンも少なくすぐに倒される羽目になり、「無敵なのにやられたー!」というやられ台詞は、もはやお約束になっている。
+α ゲーム【戦国無双】の直江 兼続(なおえ かねつぐ)と比較
史実では、
直江 兼続(なおえ かねつぐ)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 越後国 | 米沢藩 | 直江氏
(1560年 - 1619年1月23日 病死:享年60歳)
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老。
越後上田庄(うえだのしょう)で生まれた。「愛」という字を前立にあしらった兜が兼続所用として米沢市の上杉神社稽照殿に伝わっている。これは、上杉謙信が、愛宕神社に、武田信玄および北条氏康の打倒を戦勝祈願した文書が歴代古案に集録されており、一般に、愛宕の愛からとする説が有力である。
【もっと歴史について】直江 兼続(なおえ かねつぐ)の名言・格言
毛利 元就(もうり もとなり)
肩書:「詭計智将(きけいちしょう)」 / 登場時の書き文字:「着手」(※『1』では「登場」)
毛利家当主。勝利のためには手段を選ばない常に冷徹な策略家で、兵士のことを「捨て駒」と言い放ち、多少の犠牲は厭わない。史実の反映か日輪を篤く信仰している。端正かつ鋭い容姿が印象的で、翼のような長い甲冑を腕に装着している。
算段を乱されると憤怒や苛立ちを見せるが、冷静さは失わない。四国の長曾我部元親とは哲学の違いなどもあって、瀬戸内海を挟んで対立している。天下を競望せず、領土の保全と毛利家の安泰を図るという信条のため、信長や秀吉などの侵略勢力とは激しく敵対する。半兵衛に対しては同じ策士として対抗意識を抱いている描写がある。
領土保全と毛利家の末永き安泰のみを願っており、「天下には興味はない」と公言するなど、現実主義的なスタンスを貫いている。しかし「この世全てを安芸とすれば、永劫に敵はない」とし消極的理由ながら天下も狙っていると取れる描写もある。「我を理解できる者は、この世に我だけでよい」と発言するなど、他者を寄せつけない頑なな性格だが、自身ですらも「駒」の一つと見なしているなど非利己的で、毛利家全体の繁栄を望む自己犠牲・集団至上思考の持ち主。現代的な脚色やアレンジが多い戦国BASARAの武将の中では、言葉遣いには古めかしいものが多い。
+α ゲーム【戦国無双】の毛利 元就(もうり もとなり)と比較
史実では、
毛利 元就(もうり もとなり)
戦国大名 | 安芸国 | 毛利氏
(1497年4月16日 - 1571年7月6日 死去:享年75歳)
室町時代後期から戦国時代にかけての安芸(現在の広島県西部)の国人領主・戦国大名。安芸(現在の広島県西部)の小規模な国人領主から中国地方のほぼ全域を支配下に置くまでに勢力を拡大、中国地方の覇者となり「謀神」「謀将」とも評されるが、「知将」の呼び名の方が高く、「戦国最高の知将」と後世評される。用意周到かつ合理的な策略及び危険を顧みない駆け引きで自軍を勝利へ導く稀代の策略家として名高い。
【もっと歴史について】毛利 元就(もうり もとなり)の名言・格言
長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)
肩書:「天衣無縫(てんいむほう)」 / 登場時の書き文字:「進撃」(『1』では「登場」)
自身を「鬼ヶ島の鬼」「西海の鬼」と称する、長曾我部家の当主にして総大将。初登場時22歳。
海賊の親分をイメージして描かれており、左目を紫の眼帯で覆い隠している。頭にバンダナを巻いたしゃべるオウムをペットとして連れている。一見乱暴な荒くれ者に見えるが、懐が深く、部下や民からの信頼も厚い。自分を慕う者を「野郎共」と呼び、兵士(子分)達からも「アニキ」と呼ばれ慕われている。全員男の熱狂的な親衛隊がいる。天下への興味は薄いらしく、「俺は天下よりも、風の吹くまま海を旅していたい」といった意味合いの発言をしている。
+α ゲーム【戦国無双】の長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)と比較
史実では、
長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)
織豊政権の大名 | 戦国大名 | 土佐七雄 | 長宗我部氏
(1539年 - 1599年7月11日 死去:享年61歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての人物。最高官位は従四位下で死後に正三位が贈られた。土佐守、侍従、宮内少輔を歴任した。土佐国の戦国大名として知られる。
【もっと歴史について】長宗我部 元親(ちょうそかべ もとちか)の名言・格言
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織田 信長(おだ のぶなが)
肩書:「征天魔王(せいてんまおう)」 / 登場時の書き文字:「参戦」、『3』『宴』では「帰参」
「第六天魔王」を自称する、織田軍の総大将。
傲岸不遜・残忍非道な振る舞いが目立ち、野望は「世界征服」。天下を恐怖で支配し、戦国の魔王として禍々しいまでの存在感を放つ。敵対する者であれば、それが実妹のお市や義弟の長政であっても全く容赦しない。一方で蘭丸のことは戦功をよく認め、その死に取り乱したりするほど可愛がっており、妻の濃姫が倒れた際には悼むような発言をするなど、人間的な面も見られる。また、持て囃されると口では否定しつつも満更でもない様子。
光秀や元就ほどではないが、部下達から恐れられている。
+α ゲーム【戦国無双】の織田 信長(おだ のぶなが)と比較
史実では、
織田 信長(おだ のぶなが)
織豊政権の大名 | 三英傑 | 戦国大名 | 尾張国 | 織田氏
(1534年6月23日または1534年7月9日 - 1582年6月21日 自刃:享年49歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。
尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。幼名は吉法師。
室町幕府を滅ぼし、畿内を中心に強力な中央政権(織田政権)を確立。戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の一人である。この政権は豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと続いていった。
【もっと歴史について】織田 信長(おだ のぶなが)の名言・格言
濃姫(のうひめ)
肩書:「繚乱無比(りょうらんむひ)」 / 登場時の書き文字:「登場」
信長の妻で、喪服を元にした大きなスリットの入った和服姿の妖艶な美女。信長を恐れながらも心底愛しており、彼を天下人にすべく戦うが、キングメーカーとしての自らの野心をほのめかす言動も時折見られる。魔王の妻であり、マムシの娘であるという自覚から戦場では冷酷に振る舞おうとするが、感性はごく普通の女性であり、蘭丸を実の息子のように褒めて励ましたり、幼い子供のいつきを倒すことを戸惑うなど、心優しい性格をのぞかせている。
+α ゲーム【戦国無双】の濃姫(のうひめ)と比較
森 蘭丸(もり らんまる)
肩書:「破邪清真(はじゃせいしん)」 / 登場時の書き文字:「参戦」
信長に仕える無邪気な腕白少年。戦場で出会った信長を慕って織田軍に属し、以後は信長に認めてもらうことを至上の喜びとしている。
盲信から善悪に対する意識が希薄で、敬愛する信長と濃姫以外の人物には無礼・残酷な言動をとる。信長の実の妹であるお市さえも、敵軍に属している時は「お前」扱いである。盲従と幼さゆえに、無邪気に信長の真似をする様子を、お市は「片腹痛いわ」と切り捨て、元就は「おうむ」と揶揄している。容赦なく敵兵を次々と射抜く姿は、敵味方双方の兵から「魔王の子」として恐れられている。しかし、信玄や義弘のような威厳があり声の大きい大人は苦手。
+α ゲーム【戦国無双】の森 蘭丸(もり らんまる)と比較
史実では、
森 蘭丸(もり らんまる)
戦国武将 | 尾張国 | 森氏
(1565年 - 1582年6月21日 討死:享年18歳)
森 成利(もり なりとし)/ 森 乱(もり らん)/森 乱成利(もり らんなりとし)森 長定(もり ながさだ)は、安土桃山時代の武将。森 蘭丸(もり らんまる)という名で知られている。永禄8年(1565年)、織田信長の家臣森可成の三男として尾張国葉栗郡蓮台に生まれる。
【もっと歴史について】森 蘭丸(もり らんまる)の名言・格言
明智 光秀(あけち みつひで)
肩書:「冷眼下瞰(れいがんかかん)」 / 登場時の書き文字:「執行」(『1』では「出陣」)
死神を彷彿とさせる快楽殺人狂であり、人を肉体的、精神的に痛めつけて殺すこと、そして自らが傷つくことにも喜びを感じる異常者。殺戮を食事のように捉えており、戦場で目にした者は敵味方にかかわらず刃を向ける。信長の配下に就いている理由は「彼の下ではより多くの人を殺せるから」。謀反を働く理由もより強い快楽を求めたあげく殺意が強大無比な存在の信長に向いたため。慶次や蘭丸とその配下の兵士達からはその性を「変態」扱いされている。
表向きは穏やかな青年に見え口調こそ丁寧だが、発する言葉の多くは猟奇性を帯び、内面の計り知れぬ狂気が滲み出ている。極端に不快な場合や極度の怒りを感じると、敵意と殺意が剥き出しになり、口調も暴力的になる。己が狂人であることを理解しながら、一方で「真っ当な人間」として人々に慕われ愛されることへの渇望もあり、内面の二律背反に人知れず苦悩している。
織田信長に対する感情は殺意や憧憬、敬愛、依存など、複雑な上に何よりも強い。同じ美濃出身で幼馴染の濃姫を本名の帰蝶と呼んでおり、彼女と接する際にはまともな人間らしさを覗かせる。
+α ゲーム【戦国無双】の明智 光秀(あけち みつひで)と比較
史実では、
明智 光秀(あけち みつひで)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 美濃国 | 明智氏
(1528年 - 1582年7月2日 自刃:享年54歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。戦国大名・織田信長の重臣の一人で、日本史の謎の一つとされる本能寺の変を起こした三日天下でも有名。織田四天王の一人。渾名(あだな):キンカン頭、幼名:彦太郎。
【もっと歴史について】明智 光秀(あけち みつひで)の名言・格言
柴田 勝家(しばた かついえ)
…こうして目を閉じれば、否が応にも思い出す…過去の私が犯した、曼荼羅模様の過ちを…
織田軍の若き尖兵。かつて起こした謀反が失敗に終わり、実力はあるものの地位は低い。
現在は全てを諦めたようにただ命令に従うだけの存在で、主君・織田信長からも、ほとんど相手にされる事はない。
+α ゲーム【戦国無双】の柴田 勝家(しばた かついえ)と比較
史実では、
柴田 勝家(しばた かついえ)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 尾張国 | 柴田氏
(1522年? - 1583年6月14日 自害:享年62歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。織田四天王の筆頭。
武骨の性格で、その秀でた武勇から鬼柴田と呼ばれ、江戸中期の随筆『翁草』の小唄の1節に秀吉らとともに、勝家は戦場における突進力では随一という意味でかかれ柴田と評されている。
【もっと歴史について】柴田 勝家(しばた かついえ)の名言・格言
浅井 長政(あざい ながまさ)
肩書:「信義不倒(しんぎふとう)」
近江浅井家の当主。『ウルトラマン』のような紅白の衣装(キャラ固有アイテム「光の剣」の効果も「ステージ開始“3分間”有効」というもの)、『仮面ライダー』のライダーキックのような特殊技の存在、さらに技を出した後の決めポーズなど、特撮を髣髴とさせるキャラクター。衣装色・属性共に妻であるお市と対になるようになっている。
実直な性格と強固な正義感の持ち主で、戦国の世に蔓延る悪を「削除」しようとしている。しかし、根拠もなしに独断と先入観だけで善悪を決め付けてしまうため、武将達から矛盾を指摘されている。大抵の人物を悪とみなすことがほとんどであるが、『英雄外伝』では松永久秀を礼儀正しいという理由だけで悪と判定しなかった。
お市に対しては、自虐的であることには厳しいが、憂いては泣いてばかりの彼女を慰めるために百合の花をプレゼントしたり、彼女から賞賛されると照れるなど、本人なりに大切に想っていた。部下に対する態度も概ね同じである。
織田軍とは婚姻同盟関係にあるが、いずれ史実同様破綻する運命にある。
+α ゲーム【戦国無双】の浅井 長政(あざい ながまさ)と比較
史実では、
浅井 長政(あざい ながまさ、旧字体表記:淺井 長政)
戦国大名 | 近江国 | 浅井氏
(1545年 - 1573年9月26日 自害:享年29歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北近江の戦国大名。浅井家の3代目にして最後の当主。
浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。
【もっと歴史について】浅井 長政(あざい ながまさ、旧字体表記:淺井 長政)の名言・格言
お市(おいち)
肩書:「幻妖言惑(げんようげんわく)」
織田信長の妹であり、浅井長政の妻。絶世の美女だが「信長の妹」という環境が彼女の人格に大きく影響を与えており、内向的かつ自虐的な性格。「これも市のせい…」が口癖。知らず知らずの内に己が美貌を利用し、部下を裏からコントロールする魔性の女としての側面も持ち、その魔性は半兵衛や久秀も評価している。
信長に対面したり、蘭丸に挑発されたり、大技を撃つ時などには、信長と似通った鬼気迫る面が表に出る。濃姫曰く「この世でただ一人、真に上様を理解できる者」。明るく仲睦まじい前田夫婦を「どうでもいい」と一蹴するなど、他人の幸福に羨望と嫉妬する傾向が強い。
+α ゲーム【戦国無双】のお市と比較
今川 義元(いまがわ よしもと)
室町・安土桃山時代の僧 | 臨済宗 | 守護大名 | 戦国大名 | 駿河国 | 今川氏
史実では「海道一の弓取り」と呼ばれた名将であり、一般的には公家かぶれというイメージの強い義元だが、この作品では公家かぶれという部分が特に増幅されており、白塗りの顔におじゃる口調の、高飛車でマイペースな趣味人キャラとして描かれている。空気の読めない発言や行動で周囲を困らせるのが常だが、光秀・秀吉・半兵衛・久秀などに対しては、舞や雅の心に準えた鋭い意見や達観を述べる場面もある。
+α ゲーム【戦国無双】の今川 義元(いまがわ よしもと)と比較
史実では、
今川 義元(いまがわ よしもと)
室町・安土桃山時代の僧 | 臨済宗 | 守護大名 | 戦国大名 | 駿河国 | 今川氏
(1519年 - 1560年6月12日 戦死:享年42歳)
戦国時代の武将、駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。別名(初名)、氏元(うじもと)。東海道一の弓取りとして武芸でも名を馳せていた。
寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才能を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて戦死した。
【もっと歴史について】今川 義元(いまがわ よしもと)の名言・格言
北条 氏政(ほうじょう うじまさ)
肩書:「老成剛毅(ろうせいごうき)」 / 登場時の書き文字:「登場」
自分の代になって勢力が衰えていることが認められず、先祖の栄光にすがりついて自己崩壊を免れようとする老将。
何かにつけて「ご先祖様」と口にするが、バサラ技で幽霊として出現するご先祖様の姿には、恐怖のあまり怯えてしまっている。他国の武将達はもちろんのこと、家臣や兵士達からも呆れられているが、良くも悪くも凡庸な普通の老人。北条家の威厳を示すため様々な傭兵を雇い入れており、後述の風魔小太郎や戦国連隊・五本槍なども小田原城に登場する。居城の小田原城には北条家栄光門という巨大門があり、「北条栄光槍」という派手な槍を武器とするなど、随所に「栄光」への強い拘りが窺える。
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史実では、
北条 氏政(ほうじょう うじまさ)
戦国大名 | 相模国 | 後北条氏
(1538年 - 1590年8月10日 切腹:享年53歳)
戦国時代の相模国の武将・大名。後北条氏の第4代当主。父は北条氏康、母は今川氏親の娘瑞渓院。正室の黄梅院は武田信玄の娘で、武田義信や武田勝頼とは義兄弟にあたる。子に氏直など。
風魔 小太郎(ふうま こたろう)
肩書:「疾風翔慟(しっぷうしょうどう)」 / 登場時の書き文字:「参上」
北条氏政に金で雇われた傭兵。「伝説の忍」と呼ばれる恐ろしく腕の立つ忍。時として「風の悪魔」とも称される。シンボルカラーは白黒。話さないだけか本当に声を発せないのか、非常に無口で全く喋らない。
伝説の忍と呼ばれているのは、任務中に自身の姿を見た者をほぼ例外なく殺害しているが故に「誰も姿を見たことが無い」ためである。同業のかすが曰く「忍は皆、その名を知っているが本当にいるのかは誰も知らない」。慶次が老人に聞いた昔話に小太郎に似た忍が登場していたり、蘭丸に「自分より子供なのか?」と疑問に思われたり、お市から「貴方はこの世にいない」と意味深な言葉をかけられるなど、作中の登場人物の中では最も謎が多いキャラクターと言える。
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豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし)
肩書:「裂界武帝(れっかいぶてい)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
豊臣軍を纏める大将。威風堂々とした筋骨隆々の大男として描かれており、史実イメージの猿というよりはゴリラといった印象を与え、政宗など他の武将からは「大猿」と評される。日本を世界に通じる強国にするという理想を持ち、国を腐らせる対象をことごとく排除しようとする。「魔王」織田信長と敵対し、並び称される「覇王」。
「力」に対するこだわりが強く、最強の軍団および最強の国を築くべく天下を目指す。国を強くするため、ただ敵を屠るのではなく、一度は自分の元に降伏するように勧告し、有能な兵や将軍はたとえ仇敵であったとしても自分の下に受け入れるという器量も兼ね備えている。
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史実では、
豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし)
織豊政権の大名 | 三英傑 | 戦国大名 | 摂関 | 茶人 | 尾張国 | 木下氏 | 豊臣氏
(1537年3月17日 - 1598年9月18日 死去:62歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・天下人・関白・太閤。三英傑の一人。
はじめ木下氏を名字とし、羽柴氏に改める。本姓としては、はじめ平氏を自称するが、近衛家の猶子となり藤原氏に改姓した後、豊臣氏に改めた。
尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれた。当初今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を表した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、織田家内部で勢力争いを起こし、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き関白・太政大臣に就任、豊臣姓を賜り日本全国の大名を臣従させ天下統一を果たした。
【もっと歴史について】豐臣 秀吉(とよとみ ひでよし)の名言・格言
竹中 半兵衛(たけなか はんべえ)
肩書:「蒼烈瞬躙(そうれつしゅんりん)」 / 登場時の書き文字:「着手」
豊臣秀吉の親友であり、戦国最高の天才軍師。怪盗を髣髴とさせる仮面を付けている。穏やかな口調かつ優雅な態度とは裏腹に、非情な手段も厭わない冷酷な性格で、他者を見下す言動が多い。また味方の兵には、飴と鞭を使い分けるような言動を取る。
夭折した史実と同じく呼吸器系の病を患っており、秀吉のために最強の軍団を作らんと残り少ない命を戦いの日々に捧げる。誰よりも秀吉に心酔しており、秀吉を侮辱した者に対しては怒りのあまり冷静さを失い、口調も荒っぽくなる。「天下を統一し、世界に抗することの出来る強い日ノ本を作り上げる」という秀吉にとっての理想を叶えることが夢。
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史実では、
竹中 半兵衛(たけなか はんべえ) / 竹中 重治(たけなか しげはる)
戦国武将 | 竹中氏
(1544年 - 1579年7月6日 死去:享年36歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。初名は重虎、のちに重治。通称は半兵衛(はんべえ)。父は竹中重元、弟に重矩。子に重門。従兄弟に竹中重利。
戦国時代を代表する軍師としても知られ、織田氏の家臣である羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の参謀として活躍し、黒田孝高(黒田官兵衛)とともに「両兵衛」「二兵衛」と称された。
【もっと歴史について】竹中 半兵衛(たけなか はんべえ) / 竹中 重治(たけなか しげはる)の名言・格言
前田 慶次(まえだ けいじ)
肩書:「絢麗豪壮」(けんれいごうそう) / 登場時の書き文字:「罷通」
18〜22歳。主人公格の一人。祭と喧嘩が好きな傾奇者。利家とまつの甥っ子だが前田軍配下ではなく、家出して勢力としては独立している。過去の経験とおしどり夫婦である利家とまつの影響からか、天下統一よりも恋した相手を幸せにすることを何より大切に思い、出会う人々に恋とは何か問いかけながら各国を渡り歩く風来坊で、夢吉という小さな猿をペットとして連れている。
利家とまつからの束縛を嫌い、普段は前田軍に属しておらず、京都で自由に暮らす遊び人として扱われている。しかし、まつには頭が上がらず、利家とも内心では認め合っている。京の町人からは老若男女問わず人気があり、京の遊び人達を仲間として連れている。家康とも遊び友達で、謙信とも仲が良く「けいじ」「謙信」と呼び合う仲である。
昔は秀吉と親友だったが、秀吉の妻であり自身の初恋相手であるねねを、秀吉が殺したことが原因で袂を分かった。秀吉を陥れねねが殺害されるきっかけを作った元凶である松永久秀と対峙した際には、本気で激怒する場面も見られる。また、真の魔王として蘇った信長に対しても「あんたの帰る場所はここじゃない」と家康や利家同様、彼の存在を否定している。
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史実では、
前田 慶次、前田 利益(まえだ けいじ、まえだ とします)
戦国武将 | 傾奇者 | 尾張国 | 加賀前田氏
(1533年または1541年? - 1605年または1612年?)
戦国時代末期から江戸時代初期にかけての武将。現在では一般に前田慶次/慶次郎の名で知られる。滝川一族の出身で、前田利家の義理の甥。
【もっと歴史について】前田 慶次、前田 利益(まえだ けいじ、まえだ とします)の名言・格言
前田 利家(まえだ としいえ)
肩書:「豪放磊落(ごうほうらいらく)」、『1』では「槍の又左(やりのまたざ)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
前田家当主。自宅では褌一丁で生活していることが多く、戦場でもほぼ裸で全身傷だらけという野生児スタイル。
慶次をはじめ多くの武将からそのことを揶揄され、味方武将からも「服を着てくれ」と心配されている。人好きのする人物で、実直かつ純粋。いつも天然で三枚目だが、半兵衛の心情を見抜いたりするなど人を見る目はかなり鋭い。いつも空腹状態であり、合戦中にも空腹を訴える。妻のまつを熱愛しており、彼女の作る食事が何より好きで、時には仲が良すぎて二人だけの世界に入ることもある。
+α ゲーム【戦国無双】の前田 利家(まえだ としいえ)と比較
史実では、
前田 利家(まえだ としいえ)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 尾張国 | 能登国 | 加賀国 | 加賀前田氏
(1537年、1538年または1539年 - 1599年4月27日 病死:享年60〜62
歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。
小姓として織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆として従軍し、槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持った。その後柴田勝家の与力として、北陸方面部隊の一員として各地を転戦し、能登一国23万石を拝領し大名となる。
【もっと歴史について】前田 利家(まえだ としいえ)の名言・格言
まつ
肩書:「賢才瞬麗(けんさいしゅんれい)」 / 登場時の書き文字:「登場」
前田利家の妻。良妻賢母を体現したしっかりもの。
武家の嫁として常に利家を盛り立て、前田家のために尽くしている。前田家内ではかかあ天下状態。利家のことは「犬千代様」と呼んでいる。ラリアットが得意。戦闘装束に着替えるシーンはセーラームーンを彷彿とさせる。料理の腕は一級品。利家や前田軍の将兵たちも、戦の後の彼女の料理を楽しみにしている。
徳川 家康(とくがわ いえやす)
肩書:「東照権現(とうしょうごんげん)」 / 登場時の書き文字:「登場」
15歳または19歳。 葵の葉をモチーフにした金色の甲冑に身をまとった少年として描かれている。太陽のように明るい人懐っこさを持つ部下想いの人情家。戦場では一人も部下を失いたくないという信念を持ちながらも、争いのない平和な世の中を目指す。
幼い頃は今川家に人質として取られていたらしく、義元のことは「義元様」と呼んでいる。義元・利家を始め、一部の武将や自身の部下からは、幼名である「竹千代」と呼ばれている。織田家とは同盟を結んでおり、信長・濃姫・蘭丸・利家・まつ・慶次は倒しても撤退扱いとなる。長政ほどではないが、信長の無慈悲な振る舞いにより、他の勢力との間で板挟みに遭うことがしばしばある。
豊臣軍との戦いに敗北した後、豊臣傘下として忍んでいたが、世界進出を望み戦火を拡大する秀吉に反旗を翻し、激しい戦いの末に討ち取った。「絆」の力で天下を治めることを決意し、東軍総大将として関ヶ原の合戦に挑む。
絆を説きながらも秀吉を討った矛盾や、己の夢で悲しみを生んでしまう罪を背負う覚悟を固めており、かつての戦友で西軍総大将の石田三成からは激しい憎悪を受け、友人関係にあった元親や慶次・利家との関係も変化してしまったが、言い訳すらしようとせず全てを受け入れる。人知れず孤独を抱えながらも笑顔と優しさを絶やさず、絆の力による平和な世を目指す。また、自分と同じく武田信玄を師と仰ぐ真田幸村に対しては互いに魂をぶつけ合う。
+α ゲーム【戦国無双】の徳川 家康(とくがわ いえやす)と比較
史実では、
徳川 家康(とくがわ いえやす) / 松平 元康(まつだいら もとやす)
織豊政権の大名 | 江戸幕府の征夷大将軍 | 三英傑 | 三河国 | 駿河国 | 松平氏 | 徳川氏
(1543年1月31日 - 1616年6月1日 死去:享年75歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人。
本姓は先に藤原氏、次いで源氏を称した。家系は三河国の国人土豪・松平氏。1567年2月18日(永禄9年12月29日)に勅許を得て、徳川氏に改めた。松平元信時代からの通称は次郎三郎。幼名は竹千代(たけちよ)。
【もっと歴史について】徳川 家康(とくがわ いえやす) / 松平 元康(まつだいら もとやす)の名言・格言
本多 忠勝(ほんだ ただかつ)
肩書:「戦国最強(せんごくさいきょう)」 / 登場時の書き文字:「起動」
徳川軍の武将。逸話では「五十七度戦に出て、傷一つ負わなかった」と謳われる猛将で、本作では傷一つ付けられないロボット型武将。大胆な解釈によるキャラクター造形だが、外見は鹿角脇立兜をかぶり肩から大数珠を下げるなど一般的な本多忠勝のイメージを維持している。
主君である家康を守り続ける忠臣だが、戦場で機能停止していたり、ライバルである島津義弘の接近に呼応して勝手に動き出すなど人間的な面もある。台詞は「…」「!」「?」のみで構成され、一言も喋ることはないが、多少の意思は図ることができる。主君である徳川家康や徳川軍兵士とはより明確な意思疎通ができている描写がある。将棋も指せるらしい。
+α ゲーム【戦国無双】の本多 忠勝(ほんだ ただかつ)と比較
史実では、
本多 忠勝(ほんだ ただかつ)
戦国武将 | 譜代大名 | 三河国 | 本多氏
(1548年3月17日 - 1610年12月3日 死去:享年62歳)
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。徳川氏の家臣。上総国大多喜藩初代藩主、伊勢国桑名藩初代藩主。忠勝系本多家宗家初代。本姓は藤原氏。徳川四天王・徳川十六神将・徳川三傑に数えられ、家康の功臣として現在も顕彰されている。
【もっと歴史について】本多 忠勝(ほんだ ただかつ)の名言・格言
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石田 三成(いしだ みつなり)
肩書:「君子殉凶(くんしじゅんきょう)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
関ヶ原の戦いで西軍を率いる総大将。水鳥の嘴のような特徴的な前髪をしている。
主君である秀吉を神の如く崇拝しており、秀吉を倒した家康に狂気的な殺意と憎悪を抱いている。秀吉の「覇王」に対し、「凶王」とあだ名されており、「凶王三成(きょうおうさんせい)」とも呼ばれる。秀吉の右腕的存在であった半兵衛と並んで「豊臣の左腕」と称され、数多くの戦果を挙げており、小田原では伊達軍に大きな損害を与え、政宗・小十郎を完膚なきまでに叩きのめした。
秀吉への忠義は妄信的であり、秀吉に従わない者や罵る者、疑う者はすぐさま「斬滅」しようとするほど攻撃的だが、自分に関しての暴言や恨み等には殆ど興味を示さない。秀吉の死後も度々秀吉に「許可」を求める。また、秀吉の右腕として敏腕を奮っていた半兵衛に対しても秀吉同様、強い尊敬の念を持っており、家康のことも、まだ秀吉存命時には少なからず心を開きかけ、互いに認め合っていた節があった。
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史実では、
石田 三成(いしだ みつなり)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 近江国 | 石田氏
(1560年 - 1600年11月6日 斬首:享年41歳)
安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。
永禄3年(1560年)、石田正継の次男として近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市石田町)で生まれる。幼名は佐吉。石田村は古くは石田郷といって石田氏は郷名を苗字とした土豪であったとされている。三成は五奉行の中でも随一の実力者であり、毛利・上杉・島津などの大大名も秀吉への取り成しは常に三成を通じて行っていた。太閤検地においては検地尺を定めるなど、大きな実績を残した。豊臣家奉行の筆頭格であり、優れた行政能力を持った官僚であったという評価は定着している。『翁草』は世の人々が三成を「無双の才覚」と讃えていたと伝えている。
【もっと歴史について】石田 三成(いしだ みつなり)の名言・格言
大谷 吉継(おおたに よしつぐ)
肩書:「寥星跋扈(りょうせいばっこ)」 / 登場時の書き文字:「実行」
石田三成の盟友であり、三成の補佐を務め西軍をまとめている。移動は輿に乗って行なうが、担ぎ手はおらず輿自体が宙に浮いている。病に冒されており、全身に包帯を巻きつけた格好をしている。三成を始め、官兵衛・家康などからは「刑部(ぎょうぶ)」と呼ばれている。
病に冒されたことによって心をも病んでしまい、世に生きる全ての人間を激しく憎むようになってしまった。淡々とした口調で皮肉と自嘲に満ちた言葉を吐く。「全ての人間に等しく不幸を振りまくこと」を目的に戦を起こし、毛利元就と共に関ヶ原の黒幕としてあらゆる策を講じる。大勢の人々から好かれ絆を掲げる家康には一層強い嫉妬と憎悪を抱いており、一方で自覚はないものの三成は大切に想っているようであり、秘密裏に暗躍しながらも、彼の不利益になるようなことはしない。秀吉のことは「太閤」と呼んでいる。嫌われたり恨まれたりする事に慣れているためか礼を言われると戸惑ってしまうという面があり、それが関係してまつに対して苦手意識を持っている。
史実では、
大谷 吉継(おおたに よしつぐ)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 近江国 | 大谷氏
(1558年または1565年 - 1600年10月21日 自害:享年42歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。越前敦賀城主。名前については「吉隆」とも。業病を患い、晩年は面体を白い頭巾で隠して戦った戦国武将として有名。
【もっと歴史について】大谷 吉継(おおたに よしつぐ)の名言・格言
島 左近(しま さこん)
賽は振られちまったとくりゃ、丁か半かふたつにひとつ!いざ、出たトコ勝負ッ!
石田三成に従う、豊臣軍の若き切り込み隊長。賭け事を何よりも好む陽気な青年で、軽薄な見た目や態度だけではなく、身のこなしも極めて軽い。主である石田三成に憧れており、忠義に厚い一面を見せる。
+α ゲーム【戦国無双】の島 左近(しま さこん)と比較
史実では、
島 左近(しま さこん) / 島 清興(しま きよおき)
安土桃山時代の人物 | 戦国武将 | 大和国 | 島氏
(1540年6月9日? - 1600年10月21日?)
安土桃山時代の武将。石田三成の家臣。通称である島 左近(しま さこん)の名で一般に広く知られる。
娘(珠)は柳生利巌の継室で、剣豪として名高い柳生厳包は外孫にあたる。
熊本市の西岸寺には、中興の泰岩和尚は島左近が鎌倉光明寺で出家した後身であり、細川忠興に仕えて小倉に知足寺を建立し、加藤忠広の改易後、細川忠利の肥後入国に際しては、忠利の命を受けて熊本に入り情報収集に努めたという由来記が残る。
【もっと歴史について】島 左近(しま さこん) / 島 清興(しま きよおき)の名言・格言
黒田 官兵衛(くろだ かんべえ)
肩書:「機略重鈍(きりゃくじゅうどん)」 / 登場時の書き文字:「行動」
豊臣秀吉の下で堂々と天下の座を狙うも、それを危惧した石田三成に南の地に追放された。
それでも、東西がぶつかり合い新時代が訪れようとしている機に乗じて、野望を実現するために懲りずに暗い穴倉から出て動き出す。「穴熊」や「暗(くら)の官兵衛」とも渾名されており、本人も他人を渾名で呼ぶことが多い(家康を「権現」、かすがを「懐刀(ふところがたな)」、小太郎を「風切羽(かざきりばね)」、鶴姫を「女巫(めかんなぎ)」など)。
非常に優れた慧眼を持っているが、非常に運が悪いため全てが裏目に出てしまう男で、物事がうまく運ばない時に叫ぶ「なぜじゃーーっ!」が口癖。勝利ムービーでも「この調子で天下を(狙う)」と発言した直後に敵軍の残兵から襲撃されている。口が悪いため、交渉で失敗することも多い。自身とともに「二兵衛」と称されていた竹中半兵衛より己の方が賢いと発言しており、黒田軍の兵士達も「やっぱ半より官だってことよ」と言っている。また、自分が一番怖い物はあの世と語っている。
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史実では、
黒田 如水 / 黒田 孝高(くろだ じょすい / くろだ よしたか)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | キリシタン | 播磨国 | 福岡藩 | 黒田氏
(1546年12月22日 - 1604年4月19日 死去:享年59歳)
戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。孝高は諱で、通称の官兵衛(かんべえ)や出家後の如水の号で有名である。豊臣秀吉の側近として仕え、調略や他大名との交渉などに活躍した。竹中重治(半兵衛)と双璧をなす秀吉の参謀であり、後世に「両兵衛」「二兵衛」と称された。キリシタン大名でもあった。
【もっと歴史について】黒田 如水 / 黒田 孝高(くろだ じょすい / くろだ よしたか)の名言・格言
後藤 又兵衛(ごとう またべえ)
公式サイト非公開
情報調査中。
史実では、
後藤 又兵衛(ごとう またべえ)
戦国武将 | 後藤氏
(1560年5月5日 - 1615年6月2日? 討死:享年55歳)
安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は又兵衞で、後藤 又兵衛(ごとう またべえ)として広く知られる。黒田如水、豊臣秀頼に仕え、数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」「大坂城五人衆」の一人に数えられた。
【もっと歴史について】後藤 又兵衛(ごとう またべえ)の名言・格言
松永 久秀(まつなが ひさひで)
肩書:「天我独尊(てんがどくそん)」 / 登場時の書き文字:「圧参」
乱世の梟雄と名高い史実からか、「己の欲望のみに従って生きる極悪人」として描かれており、欲望のためならどんな手段も選ばない危険人物。教養人の一面も反映されているようで、発する言葉には意味深な趣のものが多い。
冷徹な性格で、どんな状況下でも動じず、常に余裕めいた薄ら笑いを浮かべている。欲望に忠実に生きることが真理だと考え、理想や信義に生きる者達を「偽善者」と呼び軽蔑し、時に偽善という行為そのものを憎悪するような一面も見せる。蒐集家として、欲した宝はどんな手段を用いてでも手に入れようとする。それまでの歴史・時間を経たものを壊すことを「時間の破壊」と表現する。
史実では、
松永 久秀(まつなが ひさひで)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 大和国 | 茶人 | 松永氏
(1510年? - 1577年11月19日 爆死による自害:享年68歳)
戦国時代の武将。大和国の戦国大名。官位を合わせた松永弾正(まつなが だんじょう)の別名でも知られている。出身地は山城国とも播磨国ともいわれる。初めは三好長慶に仕えたが、やがて三好家中で実力をつけ、長慶の死後は三好三人衆と共に第13代将軍・足利義輝を永禄の変で殺害し、畿内を支配した。「謀殺による三好家乗っ取り」「東大寺大仏殿の焼き討ち(原因は諸説ある)」「永禄の変での将軍暗殺」などの所業から斎藤道三・宇喜多直家と並んで日本の戦国時代の三大梟雄とも評されている。
【もっと歴史について】松永 久秀(まつなが ひさひで)の名言・格言
小早川 秀秋(こばやかわ ひであき)
肩書:「無明秋夜(むみょうしゅうや)」 / 登場時の書き文字:「決断」
小早川軍の総大将。大将とは名ばかりで優柔不断で気が小さく、臆病かつ卑屈な言動で周りの人々を苛立たせることもしばしば。天海を始め、三成・吉継・元就・家康などからは「金吾(きんご)」と呼ばれている。
食いしん坊であり、ストレス解消はもっぱら食べること。特に鍋料理を好み、食事の時間を「鍋時間」と呼んでいる。その鍋時間が唯一の楽しみらしい。さらに、居城・烏城には超巨大な具材が入ったこれまた超巨大な鍋が設置されており、合戦の最中ですら鍋時間を始めてしまう。鍋時間を邪魔するとさすがに憤慨するとはいえ、その姿は微塵の迫力も感じられない非常にコミカルなものである。本人曰く、戦国美食会の一員。史実の関ヶ原では寝返ったとされているが、作中でも関ヶ原で西軍から東軍に寝返る展開がある。
史実では、
小早川 秀秋(こばやかわ ひであき)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 安芸国 | 毛利氏 | 小早川氏
(1533年 - 1597年7月26日 急逝:享年65歳)
安土桃山時代の大名。丹波亀山城主、筑前名島城主を経て備前岡山藩主。名は関ヶ原の戦いの後に秀詮(ひであき)と改名している。
若年ながら豊臣秀吉の身内として重きをなしたが、関ヶ原の戦いでは戦闘中に東軍に寝返り徳川家康に勝利をもたらす契機を作ったことで知られる。
天海(てんかい)
肩書:「無明秋夜(むみょうしゅうや)」 / 登場時の書き文字:「決断」
謎の高僧。本名など素性は一切不明。甘言を囁き、知恵を授けて決断を促し、慈しみのある言葉を与える彼に救われた者も多く、兵士達からは「慈悲深き天海様」と呼ばれており、尊敬の念を集めている。一方、敵に追われて泣き喚く秀秋に対して優しい言葉をかけつつも、自分は戦わず放置して傍観しているなど、残虐な本性を時折覗かせることもある。容姿・口調・武器・技・声優などから分かるように明智光秀と同一人物である。
正体が光秀である事を匂わせつつも、ストーリーや関係者のインタビューでも正体は直接的には触れられておらず、謎の人物としての登場が徹底されていた。
いつき
肩書:「天真爛漫(てんしんらんまん)」 / 登場時の書き文字:「登場」
最北端の農村の少女で、本作オリジナルキャラクター。12歳(『2』のボイスギャラリーで明言)。肩までの銀髪を三つ編みツインテールにしており、東北方言を意識した独特の訛りで喋る。
戦乱の世を憂いた女神・ウカノメから使命を受け、授かった巨大なハンマーを手に農村をまとめ上げて一揆を起こし、乱世に身を投じる。一揆衆を構成する農民達からの人気は抜群で、『2』では「いつき親衛隊」なる者達が登場するなど、アイドルのような扱いをされている。神や愛に対する価値観の違いのため、ザビーとは宿敵同士。武家の軍ではなく一揆衆を率いているため、一般兵や武将は農民兵となる。名前の由来は一揆から。
尼子 晴久(あまご はるひさ)
肩書:「一望千夜(いちぼうせんや)」 / 登場時の書き文字:「登場」
砂と風の国である月山富田の主。気が強く勝ち気だが、ある程度ダメージを与えられ、負けそうになるとすぐ砂に隠れて逃げてしまう。砂嵐は常に吹き荒れているため、一度逃がすと見つけることが非常に困難。口先だけの頭でっかちな人間が嫌い(毛利のことを指している)。
史実では、
尼子 晴久(あまご はるひさ)
戦国大名 | 尼子氏
(1514年3月8日 - 1561年1月9日 急死:享年47歳)
戦国時代の武将。出雲の戦国大名・守護大名。出雲・隠岐・備前・備中・備後・美作・因幡・伯耆守護職。尼子経久の嫡孫に当たる。彼の残した建築物としては美作国一宮中山神社本殿が名高い。
【もっと歴史について】尼子 晴久(あまご はるひさ)の名言・格言
山中 鹿之介(やまなか しかのすけ)
…おやっさん、お角拝着!山中鹿之介!捜査、開始!
姿を消した主君・尼子(あまご)晴久を探すべく、お目付け役の鹿「おやっさん」と共に捜索の旅へ出た武将見習いの少年。探偵能力は未熟で迷推理を連発する半人前のため、今のところ武器や鎧はおやっさんからの借り物である。
史実では、
山中 鹿介 幸盛(やまなか しかのすけ ゆきもり)
戦国武将 | 出雲国 | 山中氏
(1545年9月20日? - 1578年8月20日 謀殺:享年32歳?)
戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将。出雲国能義郡(現在の島根県安来市広瀬町)に生まれる。戦国大名尼子氏の家臣。実名は幸盛(ゆきもり)、幼名は甚次郎(じんじろう)。優れた武勇の持ち主で「山陰の麒麟児」の異名を取る。
【もっと歴史について】山中 鹿介 幸盛(やまなか しかのすけ ゆきもり)の名言・格言
ザビー
肩書:「南蛮我道(なんばんがどう)」 / 登場時の書き文字:「降臨」
フランシスコ・ザビエルをモデルにしたオリジナルキャラで、作中一の色物キャラ。「愛ミナギル」を合言葉とする、ザビー教の開祖。愛を強く信仰しており、愛を広めて戦乱の世を治めようと各地を布教し歩いている。その教えは完全に自分本位で意味不明なものだが、信者達からは盲信を得ている。
本多忠勝や豊臣秀吉に次ぐ巨漢。日本語が達者でなく、矛盾だらけの発言をし、目的のために手段を選ばず、手段のために目的を忘れる傾向がある。他の武将から顰蹙を買うほど奇怪な城を肥前に構え、ザビー教を説いている。いつきとは信仰の違いから対立している。
史実では、
フランシスコ・ザビエル
戦国時代の人物(日本) | イエズス会士 | カトリック教会の聖人 | スペインの宣教師
(1506年頃4月7日 - 1552年12月2日 病死:46歳)
スペイン・ナバラ生まれのカトリック教会の司祭、宣教師。イエズス会の創設メンバーの1人。バスク人。
ポルトガル王ジョアン3世の依頼でインドのゴアに派遣され、その後1549年に日本に初めてキリスト教を伝えたことで特に有名である。また、日本やインドなどで宣教を行い、聖パウロを超えるほど多くの人々をキリスト教信仰に導いたといわれている。カトリック教会の聖人で、記念日は12月2日。
大友 宗麟(おおとも そうりん)
肩書:「古今奔放(ここんほんぽう)」 / 登場時の書き文字:「布教」
大友家の若当主。昔はただの我侭なお坊ちゃんに過ぎなかったらしいが、幼少期におけるザビーとの出会いがきっかけでザビー教に心酔しており、九州にザビー教大国を築くことを夢見て我儘の限りを尽くしており、そのため大友の領地はザビー教の温床と化している。常にマイペースで人の話を聞かず、荒唐無稽な指示で宗茂や周囲の人間を困らせることもしばしばで、他武将から子供扱いされることも多い。
史実では、
大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)
戦国大名 | キリシタン | 豊後国 | 大友氏
(1530年1月31日 - 1587年6月11日 病死:58歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。豊後の戦国大名、キリシタン大名。大友氏第21代当主。宗麟の法号で知られている。
海外貿易による経済力と優れた武将陣、巧みな外交により版図を拡げ、大内氏や毛利氏をはじめとする土豪・守護大名などの勢力が錯綜する戦国の北九州東部を平定した。
【もっと歴史について】大友 義鎮 / 大友 宗麟(おおとも よししげ / おおとも そうりん)の名言・格言
立花 宗茂(たちばな むねしげ)
肩書:「青天白日(せいてんはくじつ)」 / 登場時の書き文字:「忠節」
大友宗麟の家臣。島津義弘、本多忠勝と並び称されるほどの猛者であり、「西の宗茂」の異名を持つ武勇・人格ともに優れた名将。ザビー教に心酔する主君・宗麟に振り回され呆れながらも、宗麟の顔が描かれた橋を渡ることが出来ず、自らギロチントラップの仕掛けられた道を行くなど、主君を敬う心は一級品で、忠義心を目の当たりにした敵兵からは、「この人はいい人だ!」「だめだ、この人とは戦えない!」などと感心されている。大友軍兵士からの信望も厚い。
主への忠義に生きる質実剛健な雰囲気の物言いは、一見古き良き武士そのもの。
部下曰く「立花殿は雑念とは無縁のお方」なのだが、戦闘中に心の声として「侍やるの疲れたなぁ」「早く帰って光源氏を読みたい」「晩年には犬を飼おう」などと、愚痴や戦とは無関係な雑念が聞こえてくる。奥と呼んでいる妻には夫婦喧嘩で一度も勝ったことがない上、出て行かれたきりになっている。ステージによっては宗麟に「ギャロップ立花」と言う洗礼名を無理矢理付けられて登場している。心の声で「洗礼名なんかいらんよ。わしゃ宗茂なんだから」とつぶやくことから、非常に不満であることが窺える。「立花宗茂」と名乗ろうとすると宗麟から「違うでしょう、お前は『ギャロップ立花』です」と言われるが、「そうです!我が君の言う通り!」と自分では決して名乗らない。
+α ゲーム【戦国無双】の立花 宗茂(たちばな むねしげ)と比較
史実では、
立花 宗茂(たちばな むねしげ)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 外様大名 | 柳河藩 | 立花氏
(1567年12月18日 - 1643年1月15日 死去:享年34歳)
安土桃山時代から江戸時代初期の武将、大名。大友氏の一族。陸奥棚倉藩主、筑後柳河藩の初代藩主。関ヶ原の戦いで改易後、大名として旧領に復帰した唯一の武将である。彼は戦上手だけではなく、常に温厚で誠実に人に接し、そして義理堅く正直な面など「武士の中の武士」とも呼ばれる。
【もっと歴史について】立花 宗茂(たちばな むねしげ)の名言・格言
島津 義弘(しまづ よしひろ)
肩書:「一刀必殺(いっとうひっさつ)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
史実で壮年期に武士としての最盛期を迎えた点を元に、酒好きで豪快な薩摩の老将として描かれている。最終目的として天下を意識していない訳ではないが、それよりも生涯をかけて戦い抜く強者を求めている硬派な剣豪武将である。口調は九州の方言を組み合わせた独特の訛り。比類なき一刀必殺術示現流を駆使し「鬼島津」の異名を取る。「戦国最強の本多忠勝と唯一互角に戦える武人」と作中で紹介されており、本多忠勝とはライバル関係にある。
気さくな性格である一方で、真剣勝負に関してはいささかの私情も憐憫も差し挟まない剛直な人物で、一揆を起こしたいつきに対しても同様。織田信長や豊臣秀吉など、いわゆる“覇者”には嫌悪感を持っており、敵視している。慶次を気に入っており、「示現流を継ぐ気はないか」と発言している。
+α ゲーム【戦国無双】の近しいキャラ 島津 義久(しまづ よしひさ)と比較
史実では、
島津 義弘(しまづ よしひろ)
織豊政権の大名 | 戦国武将 | 薩摩藩 | 島津氏
(1535年8月21日 - 1619年8月30日 死去:享年84歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。九州南部の大名。島津氏の第17代当主。家康だけでなく秀吉も島津氏を恐れ、その弱体化を図るために義弘を優遇して逆に兄の義久を冷遇する事で兄弟の対立を煽ろうとしたが、島津四兄弟の結束は固く、微塵とも互いを疑うことは無かった。
足利 義輝(あしかが よしてる)
天政奉還は予が成した!朋輩よ!此れより先は、うぬら次第ぞ!
あらゆる才能に恵まれた、室町幕府のかつての王。足利十三代となった己の時代において日ノ本から活気が失われたことを憂い、再び人々の熱い息吹を求める。誰もが運命を賭けて天下獲りすら目指せる世を創るべく、将軍の位を天に還す。時代の全てを零に戻し、「戦国創世」を引き起こした張本人。
史実では、
足利 義輝(あしかが よしてる)
室町幕府の征夷大将軍 | 織豊政権の大名 | 還俗 | 将軍足利氏
(1536年3月31日 - 1565年6月17日 殺害:享年30歳)
室町時代後期(戦国時代)の室町幕府第13代征夷大将軍(在職:1546年 - 1565年)。室町幕府の歴代将軍の中でも特に覇気に溢れ、武士らしい将軍と讃えられている。その政治活動により、一時的とはいえ将軍権威が復活したことにおいて、その努力は評価に値する。
本願寺 顕如(ほんがんじ けんにょ)
肩書:「信財成皇(しんざいせいおう)」 / 登場時の書き文字:「出現」
本願寺をまとめる僧。金と筋肉をこよなく愛し、本願寺の金力と筋力を各地に轟かせるため侵略を開始する。ザビーにすら「生臭坊主」と言わせるほど強烈な破戒僧で、念仏すら知らない、本シリーズの色物キャラクターの一人。戦闘時にある程度ダメージを受けると、自慢の金をばら撒き、味方兵士を買収して寝返らせてしまう。
本願寺の僧兵たちは皆「であります!」という語尾を付けて話し、常にトレーニングを欠かさない肉体派。また、各地の戦場で様々なトレーニングセット等のセールスを行う。顕如自身も「拙僧が本願寺顕如である!」と叫ぶことで挨拶も兼ねた自己紹介を行うなど、本願寺全体が『魁!!男塾』を彷彿させる。
史実では、
顕如(けんにょ)
織豊政権の大名 | 戦国大名 | 外様大名 | 出羽国 | 最上氏
(1543年2月20日 - 1592年12月27日 示寂:享年50歳)
戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。諱は光佐。院号は信樂院。本願寺第十一世。妻(裏方)は三条公頼の三女の如春尼。子に教如・顕尊・准如がいる。
雑賀孫市(さいか まごいち)
肩書:「煙鳥翔華(えんちょうしょうか)」 / 登場時の書き文字:「登場」
傭兵集団・雑賀衆を率いる三代目頭領。本作では女性として描かれている。雑賀衆が最強であるという自負を持ち、何にも恥じない誇り高い生き様を貫くことを信条としている。先代の時代、織田信長との戦で雑賀衆は一時壊滅状態になったが、彼女が頭領となり、豊臣秀吉と契約することにより現状まで立て直した。
雑賀衆全体は「個は全、全は個」を信条としていて、力強い結束で結ばれている。一人称として常に「我ら」を用いるのは、自分を個人ではなく「雑賀衆」として考えているためである。彼女自身は非常に用心深く、金にも感情にも左右されず、雑賀衆を認め高く評価する者のみと契約を結ぶ。常に不敵で余裕のある物言いを崩さない。「マヌケ」という意味で使う「からす」が口癖(自分達の軍旗にもカラスを描いているが、慶次にそのことを指摘された際は「誇り高きヤタガラスとその辺の間抜けな鳥を一緒にするな」と反論した)。
長曾我部元親とは古馴染であり、家康の四国襲撃に対する怒りに冷静さを失っていた彼を頭を叩いて叱責し、情報を集めて真相を確かめるように忠告するなどの場面もある。伊達政宗・鶴姫とも兼ねてから付き合いがある。自分に惚れた前田慶次は適当にあしらいながらも憎からず思っている。師匠であった先代の雑賀孫市を殺した織田信長に対してのみ、激しい動揺と憎しみを見せる。
+α ゲーム【戦国無双】の雑賀 孫市と比較
史実では、
鈴木 孫一(すずき まごいち)
戦国時代の人物 | 水戸藩 | 紀伊国 | 雑賀鈴木氏
(1534年? - 1589年5月2日?)
石山合戦において雑賀衆を率いて石山本願寺へ入り、織田信長の軍勢を苦しめた。その後、関ヶ原の戦いでは鳥居元忠を討ち取るなどの軍功を挙げ、浪人を経て水戸藩に仕官した。定紋が八咫烏(やたがらす)であるため、孫一は自身の火縄銃に「ヤタガラス」と命名している。
鶴姫(つるひめ)
肩書:「純白可憐(じゅんぱくかれん)」 / 登場時の書き文字:「初陣」
四国の伊予河野の隠し巫女。世にも稀な「先見の目」を持つ預言者。再び訪れた乱世に故郷の海だけでも守りたいと願い、外界へと踏み出す。世にも稀ゆえに、外部の情報が遮断された社で大切に育てられ、穏やかで純真に成長したが、それ故に世に対する知識がなく人の悪意も知らない。良く言えば純真だが、悪く言えば騙されやすくおだてにも弱い。
長曾我部元親を西海を荒らす海賊として目の敵にしており、対立関係にあるが、基本的に子供のような悪口の言い合いである上に、戦う理由が「社の前をたまり場にされた」とお互いさまの他愛のない理由である。雑賀孫市のことは「孫市姉さま」と呼び慕っている。また、『3』戦国ドラマ絵巻のOPで風魔小太郎に偶然助けられた際一目惚れしており、「宵闇の羽の方」と呼んで慕っている。小太郎の行く先々へ出向いて、会えば壮大な演出で愛の告白を行なって抱擁しようとするが、毎回失敗する。本人は両想いだと思って運命を感じている。北条氏政とは「おじ様」と呼ぶなど交友関係にあり、氏政を倒しても撤退扱いになる。
史実では、
鶴姫(つるひめ)
戦国時代の人物 | 伊予国
(1526年? - 1543年?)
戦国時代の伝承的女性。姓名は大祝 鶴(おおほうり つる)。伊予国大山祇神社(愛媛県大三島)の大宮司・大祝安用(おおほうり やすもち)の娘。兄に大祝安舎と大祝安房。
最上 義光(もがみ よしあき)
肩書:「勿怪跳躍(もっけちょうやく)」 / 登場時の書き文字:「登場」
最上家の当主。自らを「羽州探題」「羽州の狐」「素敵紳士」などと称している。史実では伊達政宗の伯父に当たるが、本作では特に言及はない。隣国の伊達・上杉とは犬猿の仲であり、小田原の役以降の伊達軍の弱体化を機に東北の覇者になるべく行動を起こす。
兜は和風だが、フェンシングに似た使い方をする剣(本人曰く「指揮棒」)や、小指を立ててお茶(「午前の玄米茶」)を楽しむ姿、そして何より立派なカイゼル髭で、西洋の貴族や紳士を思わせる風貌をしている。大袈裟な動きと胡散臭い言動が特徴で、自分の都合の良いように物事を解釈することが多い。また、「我輩の負けだ!」と土下座をして相手を騙したり、「コーン!」と狐の鳴き声のような声を出すなど、自ら名乗る狐の姿を彷彿とさせる。目的のためなら卑怯とも言える手段も平然と行うため、他軍兵士達からも「あの狡猾さ、別のことに使えば良いのにな」と呆れられている。
史実では、
最上 義光(もがみ よしあき)
織豊政権の大名 | 戦国大名 | 外様大名 | 出羽国 | 最上氏
(1546年2月1日 - 1614年2月26日 病死:享年69歳)
戦国時代から江戸時代前期にかけての出羽国の大名。最上氏第11代当主。出羽山形藩初代藩主。伊達政宗の伯父にあたる。関ヶ原の戦いにおいて東軍につき、最上家を57万石の大大名に成長させて全盛期を築き上げた。
【もっと歴史について】最上 義光(もがみ よしあき)の名言・格言
南部 晴政(なんぶ はるまさ)
肩書:「霊魂不滅(れいこんふめつ)」 / 登場時の書き文字:「呼出」
霊場である恐山を守っている武将。不思議な呪文を使い、夜行の力で死亡した亡者をあの世から現世へと喚び出せる。「南部黄泉夜行」と称される香炉を用いて、何度倒しても蘇る亡者達で相手を恐怖で震え上がらせる。モーションは忍者のものを流用している。
史実では、
南部 晴政(なんぶ はるまさ)
戦国大名 | 南部氏
(1517年 - 1582年1月27日 病死:享年66歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。陸奥の戦国大名。本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系、河内源氏の傍系、甲斐源氏の流れを汲む。南部氏第24代当主。
佐竹 義重(さたけ よししげ)
肩書:「念岩一徹(ねんがんいってつ)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
不器用だが真っ直ぐな性格の武将。曲がったことが出来ず、真っ直ぐに歩くためよく道に迷ってしまう。関節がある鎧を着たことがない。佐竹塾により鍛え上げられた佐竹軍は、不器用であるが屈強な兵が揃っている。「不器用ですから」が決まり文句。モーションは槍兵のものを流用しているが、真っ直ぐにしか歩けないため大ジャンプをして移動することが多い。
史実では、
佐竹 義重(さたけ よししげ)
織豊政権の大名 | 戦国大名 | 久保田藩 | 常陸国 | 佐竹氏
(1547年3月7日 - 1612年4月19日 事故死(狩猟中に落馬):享年66歳)
戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。常陸国の戦国大名。佐竹氏第18代当主。
北条氏と関東の覇権を巡って争い、佐竹氏の全盛期を築き上げた。領内の金山に最新の冶金技術を導入して豊富な資金力を実現した。関東一の鉄砲隊を備えたという。
宇都宮 広綱(うつのみや ひろつな)
肩書:「雲水霧動(うんすいむどう)」 / 登場時の書き文字:「登場」
霧に包まれた神流川を本拠とする武将。常に勝つ方法を思考し、霧や虎を使い、戦わずして勝つ方法を編み出したが、しばしば自軍を不利にしてしまっている。物覚えが悪く、迷うとすぐに考え込んでしまう。
よく「考える」という言葉を使うが、考えるのは苦手。霧を出すと自分も前が見えない。氷属性だが実は寒がり。モーションは槍兵のものを流用。
史実では、
宇都宮 広綱(うつのみや ひろつな)
織豊政権の大名 | 戦国大名 | 外様大名 | 出羽国 | 最上氏
(1545年 - 1576年8月30日 病死:享年32歳)
戦国時代から安土桃山時代にかけての下野国の大名。宇都宮氏21代当主。宇都宮尚綱の子。母は結城政朝の娘。
姉小路 頼綱(あねがこうじ よりつな)
肩書:「山林隠逸(さんりんいんいつ)」 / 登場時の書き文字:「出陣」
帰雲城を本拠とする武将。森を愛し、森に守られているためかいつも穏やか。だが、一度刀を交えると、森の力を借りて自由自在に大木を操る。丸太を使った多彩な攻撃を仕掛けるのが得意。モーションは刀兵のものを流用。
史実では、
姉小路 頼綱(あねがこうじ よりつな)
織豊政権の大名 | 戦国大名 | 飛騨国 | 三木氏
(1540年 - 1587年6月1日 (幽閉)死去:享年47歳)
戦国時代、安土桃山時代の武将、大名。姉小路良頼の長男。妻は斎藤道三の娘。別名、三木 自綱(みつぎよりつな)。他に光頼、自頼。飛騨姉小路氏の当主。
宮本 武蔵(みやもと むさし)
肩書:「天驚動地(てんきょうどうち)」 / 登場時の書き文字:「参戦」
二刀流の剣術「二天一流」の使い手。佐々木小次郎との決闘時のイメージからか、左手に持った木刀と右手に持った巨大な櫂の二刀流で戦う。真っ向から堂々と勝負を仕掛けてくるものの、櫂でメッタ打ちにしたり石を投げつけたりと、戦い方は「悪ガキ」そのもの。
腕っ節はあるが、頭は良くはなく、頻繁に悪態をつく。自分の名前も含め、難しい漢字はすべてひらがな表記になっている。しかし、鉄砲など時代の先端を行く武器には興味を示している。また、敵に対して鋭い批評を下すことが多い武将達(半兵衛・佐助・久秀など)から、本質的には大きな器かもしれない、という評価を受けている。
+α ゲーム【戦国無双】の宮本 武蔵(みやもと むさし)と比較
史実では、
宮本 武蔵(みやもと むさし)
室町・安土桃山時代の武士 | 江戸時代の武士 | 剣客 | 日本の画家・能書家 | 播磨国 | 熊本藩 | 宮本氏
(1584年? - 1645年6月13日)
江戸時代初期の剣術家、兵法家。文武に優れ、二刀を用いる二天一流兵法の開祖である一方で、重要文化財指定の水墨画や工芸品を残している。
名字は宮本、または新免、通称は武蔵、本姓は藤原、諱は玄信(はるのぶ)である。幼名は辨助(べんのすけ)、号は二天、また二天道楽。著書『五輪書』の中では新免武蔵守 藤原玄信を名乗っている。
【もっと歴史について】宮本 武蔵(みやもと むさし)の名言・格言
(「ウィキペディア」「CAPCOM:戦国BASARA4 | 戦国バサラ4 公式サイト」「戦国時代の家紋 | 戦国ガイド」 より)
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- 足利 義輝
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- 雑賀 孫市
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- 宇都宮 広綱
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